もう一度、一力さん『はぐれ牡丹』から。
テレビの時代劇に出てきそうな(作中での設定は、比べてはるかに緻密だけど)、
悪徳商人と、渡世人に拉致された女の子の救出作戦!
決行のための人手を集めている一幕。
「その子の居場所が分かってるなら、お役人に頼んで取り押さえてもらえば済む話だ。なにも法度(はっ
と)破りまでして、時季はずれの花火を打ち上げることはねえだろう。」
松次郎が咎めるような口調でお加寿に答えた。お加寿の顔に、気落ちしたような色が浮かんだ。
「松次郎さんは、もう裏店の人ではなくなったのね」
「どうしてそんなことを」
「長屋暮らしを忘れれてなければ、お役人をあてにするようなことは言わないでしょう」
松次郎が、うっ・・・・・と息を詰まらせた。
こんなやりとりが何回か出てくる。
江戸時代でいえば武士、今の時代でいえば警察(または官僚・役人)。
こういう人たちの体質の一面をよーく表している。
一端、体制側の人間になってしまえば、
その体制のため、もっとひどい場合は、得た権力を行使すること、
そして私腹を肥やすことに、ガチガチに凝り固まってしまう。
警察や国などの行政、そして政治が、庶民のためを考えているなんていうのも、
多くの場合が幻想。
「普通の」人間社会の流れに任せていたら、
居丈高に自転車を取り締まる、警察を産むだけ。
清廉潔白、公のために働いているとしたら、
それに携わっている人たちが、よい動機を持って、維持できている時。
例えば、いはゆる明治維新で警察機構を作り上げた川路利良(としなが 司馬遼太郎『翔ぶが如く』参照)。
http://my.reset.jp/~hgoto/gallery/wb000701c.html
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。