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率直な感想としては、生活に役立てて、人となりを形成するためのよりどころとして、 仏教は各論過ぎる、ということ。 これをひとつひとつ追っかけていくことは、不可能に近いのではないか。
実際にやっていこうと思ったら、つまりブッダが教えてくれる道を歩もうと思ったら、 それこそ出家して仏門に入って、専心する他にない。 これは何も仏教だけではない。いはゆるキリスト教にも修道士・修道女がいるし、 巫女やら祭司やら、儀式を執行するためには、そのために人生を捧げている人でないといけない、 と規定している宗教は多いのではないか。
ただ、そのやり方だと、変に組織立ってきたり、権力が生まれてきたり、利権が発生したり、 純粋な信仰という本来の目的から離れていくことも往々にしてある。
ひとつ勝手な結論を言えば、殊日本においては、仏教は奈良時代の頃の学問としての仏教に留まっているべきだった。 それであれば、学者(僧侶)だけのものであればよく、どれだけ小難しく複雑にしようが一般社会にはさしたる影響はない。 これは塩野七生さんが指摘していたように記憶しているが、「葬式仏教」になった時からその存在意義ははっきりしないものになってしまった。
もうひとつ勝手な結論としては、サンスクリット語(シーア語?)で弟子たちによって書かれたブッダの教えがそのまま広まったらよかった。 中国に伝えられてから、漢字で翻訳され、しかも”お経”という形に作り変えられて(これも日本でか?)、 日本語という音の数が極端に少なくなる言語で読まれたときに、なんとも平板な無味乾燥な響きのものになってしまった。
そんなことを書きながら、これから空海を読もうとしている。。。
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