昨日の教会で引用されたもの。
兄弟の皆さん、義務を果たすことを学びましょう。そして義務を果たすときに、
主の模範に従いましょう。イエスの歩まれた道を私たちが歩むとき、イエスの足音に耳を傾けましょう。主のみ手を求めましょう。そうすれば私たちは主を知ることができます。ガリラヤの湖畔で主は知らない人々にも訪れられたように、主は私たちの所へも、名もなき見知らぬ者としておいでになるかもしれません。(トーマス S. モンソン「義務の召し」, 『聖徒の道』1986年7月号, p.41)
ここまで古い引用を持ってきたのにも感服したけど。
足音にも個性があって、それだけでだれが近づいてきたかわかるというのは、経験でわかる。
ずいぶん前のことだったけど、だれかうちに遊びに来てくれた時に、私が一度別室に行って、リビングに戻ろうとすると、うちの奥さんが「もう戻ってきた」というようなことを言った。
すると、その友人が「足音でもわかるんだね」と。
当然、家の中なので、だれの足音か特定するのは簡単だろうけど、
よく知っている人なら、足音でもわかる、そこに個性が表れるというのはあり得る。
イエスのことをよく知って、彼の足音と気付けるようになり、
特に人を助けようとした時に、彼ならどうするか?と自問すると、
あたかも主がこちらの方に近づいてきて、どうしたらよいか教えてくれる、
そういう風に感じられたら、すばらしいだろう。
足音といえば、もう1つ思いついたのがこの曲。
槇原敬之「足音」
♪愛を1つ胸に かかげていこう
後に続く みんなの光になるから
http://youtu.be/qW5otkd9oI0
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