白石一郎著 『海将』下 243頁
[小西行長は]切支丹に関する知識は相当にあり、入信するとしても、さほどの抵抗は感じない。
右近の屋敷で思いがけず出会った尊海ことドミニカから、ここ数日、行長はしきりに説教を受け、洗礼をすすめられていた。
「信徒になってもよいのではないか。べつに差し支えはない」
そう思っている。この当時の行長の宗教に対する関心は、そのていどであった。
何でも興味を持つ最初の段階は、「差し支えない」レベルかもしれない。
でも、ことに宗教に関しては、このレベルのままでは長く続かないだろう。
環境で半ば受け入れている場合は、迷いになる。遅かれ早かれ「受け入れるか否か」の結論を自分で出さないと、おかしな方向に行ってしまう例をたくさんみてきた。
間違ってもいいから、途中で変わってもいいから、他の人や環境のせいにしないで、自分で結論付けていかないとね。
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。