「人間の親でも自分の子供が 旅立つそのときには
困らぬように十分な知恵や 備えを持たせるのだから」
そういって鍵をくれたのは 神様なのかもしれない
旅立つ僕ら一人一人に きっと鍵を持たせてくれたんだ
鍵と鍵穴のように 幸せのかたちもそれぞれ違う
その鍵で開くたった一つの 箱を探せと教えてくれた
間違いなく以下の精神(原則)から出てきているものだろう。
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
(新約聖書(口語訳) マタイによる福音書 7章9~10節, モルモン書 第3ニーファイ14章9節も参照)
9 Or what man is there of you, whom if his son ask abread, will he give him a stone?
(The Holy Bible(kj) Matthew7, also refer to Book of Mormon 14)
肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
(新約聖書(新共同訳) へブル人への手紙 12章10~11節)
10 For they verily for a few days chastened us after their own pleasure; but he for our profit, that we might be partakers of his aholiness.
( The Holy Bible(kj) Hebrews chap12)
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