『「独裁者」との交渉術』111~112頁より
「(カンボジアPKOの日本人ボランティア)中田厚仁君も亡くなりました。それにつけても中田君のお父さん・・・・・の態度は立派で、今でも語り種(ぐさ)なのです。妹さんも一緒に来られたのですけれども、本当に、お父さんが泣き伏すのではないかと思っていたら、ニコニコ笑って自分の息子は立派な死を遂げ、平和のために大きな役割を果たしてくれたと。自分はその足跡に従って生きたい、と言ってくれたのです。」
こんな風に生きて、最後を迎えられたらいい。
もちろん、与えられている命と生きている時間は貴いもの。
たとえ自分の命とはいえ、勝手に自分の手で終わらせてしまっては決していけない。
でも、生きていることだけに執着するのは、やっぱり違う。
必ず終わりがくるから。
だから、どんな風に生きたか、その時間を何の為にどんな風に使ったかで、
「いい人生だった」と言えるか、
「まだ死にたくない」とごねるかに別れる。
「見よ、現世は人が神にお会いする用意をする時期である。まことに、現世の生涯は、人が各自の務めを果たす時期である。」(『モルモン書』アルマ書34章32節)
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。