「悪」
というものが、芝居の上ではまじりっけなしのものとして存在するが、浮世にはそういう種類のものはすくないと嘉兵衛はおもっている。しかし蝦夷びとの場から見た松前権力というものは、この世で珍奇なほどに純粋な悪であった。
というものが、芝居の上ではまじりっけなしのものとして存在するが、浮世にはそういう種類のものはすくないと嘉兵衛はおもっている。しかし蝦夷びとの場から見た松前権力というものは、この世で珍奇なほどに純粋な悪であった。
『菜の花の沖』<四>10頁
数百年に渡って今の北海道を領地としてきた松前氏(その前の名は蠣崎氏)は、
原住民であったアイヌの人たちを奴隷の如くに酷使していたようだ。
自分たち以外の和人に接することをさせない。
彼らの狩猟の成果をほとんどタダ同然で巻き上げる。
狩りの道具を改良させない。
つまり人間でなく、家畜同然の扱い。
こういうのを「まじりけなしの悪」と呼んでも差し支えないだろう。
でも、現実的にはこの手のものはそうそうない。
つまり「勧善懲悪」ですっきり、なんてことは現実にはほとんどないということ。
自分が正義だ!あいつは悪だ!なんてスパン割り切れることはあり得ない。
現実をちゃんと見て、「正しい」判断をしたいものだ。
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