宮城谷昌光『大公望』上 197~8頁より
雪が降り、雪がつもってからのほうが、望としては寒く感じなかった。
土方にとって休息の季(とき)である。
安心の季といってもよい。
いかなる外敵にも襲われることはなく、戦いにでることもなく、ひたすら心とからだをやすませるのである。毎日、何をするということもない。はじめのうち望は自分をもてあました。が、半月もすると、自分の息づかいから荒さが消え、静黙に耐えられるようになった。
---こういう生きかたもある。
人の力ではどうしようもない力がここにはあり、それに屈するというより、それに同化shちえみると、自分というさわがしいものを棄てることができる。何かをしようとする者にとって雪はじゃまになるが、何もしない者にとって雪は守りになる。ひとつのことは、かならず両面があり、人為を押し通しつづけようとすれば、一面しかみえず、人力を超えた巨大な力にさまたげられたり破壊されたりする。・・・・・
自然は、どこまでいっても逆らえないところのある、つまり人にとってコントロールできないもの。
でも一方で、人としてある部分は、自然の流れに負けないで動くことにとって、発展してきた。
個人的は、自然現象はそのまま受け入れて、それに合わせて行動したい。
願わくば、季節などではっきりと区切りのある仕事に付きたいものだ。
寝る暇がないくらい、めちゃめちゃ忙しい時期があってもいい、
その代わり、1~2週間くらいの休みは妨げなくとれる。。。
甘いか、でも追い求めたい。
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